坐禅を楽しむ会@高知

坐禅は自己を明らめる妙法と言われています。道元禅師のお教えにもとづいて、坐禅を楽しむ会です。 随時、掛川市少林寺東堂井上貫道老師をお招きしてご指導頂きます。老師は正伝の仏法を弘通される数少ない指導者のお一人です。全国で『正法眼蔵』ご提唱、坐禅指導をなさっておられます。 是非、ご参加下さい。

2021年11月

 高知坐禅会ZOOM禅会が無事おわりました。老師とZOOMで対面して坐るやり方は、安定して良いように思います。老師から力を頂くという意見をいただきました。また続けて参加して下さっている方もいて、ZOOMのやり方に慣れて集中でき、老師と摂心が出来ることを有難く、もったいない事です、と感想を下さった方もいます。私も落ち着いて出来るので、助かります。


 個人入室も4名だけですが出来ました。良かったです。個人入室は、老師にお会いする事が困難な方(例えば介護で家を開けれない、遠方で会えない)を優先させて頂いてます。また、一日参加の方を優先したいとおもいます。どうしても此処をお聞きしたいと言う事が有る方がお会い出来る様な形でいければと思います。


 個人的には坐禅箴のご提唱が最後まで出来て完結したことが嬉しいです。
20186月に高知坐禅会を貫道老師にお願いしてはじめさせて頂き、その時に二つご提示頂いたなかで、坐禅箴を選ばせて頂きました。コロナ感染で今も坐禅会は存続の危機の中にありますが、一つの形を見た事は、有難いと思います。坐禅箴は初めて勉強させていただいたのですが、貫道老師のご提唱をお聴きすると、道元禅師が私達に伝えたかった事が良く分るように思います。坐禅箴にご縁が有った事ありがたいです。


 思いついた事で、皆様のお力でZOOM禅会の展開に繋がり、老師の法を伝える一端に加わる事ができました。ずっと変わらずご提唱下さったご老師と、ZOOM禅会の参加し運営にご協力頂く皆様のおかげです。ありがとうございます。

 動画も準備したいもおもいますので、是非ご覧になって下さい。

宗貫合掌

 

 「貫道老師への訪問は、どうでしたか。」と聞かれて、何でしたかね、と聞き返してしまった。すっかり忘れていた。たった半月前のことで、あんなに楽しみにしていて、有意義だったと思った日々なのに。記憶にも無かった。

はたと、摂心や坐禅会で何をしているんだろうと考えてしまった。

 答えは、思考から浄化されるためじゃないかと、思考する。
元から塵はないといっても、如何しても世俗の生活では、汚染される。山奥で、人と会わない様でも、少しの触れあいから色々な事に曳かれて行く。坐禅をしていても、自分だけでは、難しいことがある。人を坐ると違う。たった半日の高知の自分達の坐る会でも、襟を正すことがある。老師の居る摂心や坐禅会は、その浄化度が高い。多分本来の在り様で過ごせるのだと思う。


 ZOOM
禅会や法話を聞くことも、触れる事で、その事をしているだけの時は、そうなっているのではないか。私は書き起こしをさせて頂いている。円通寺の講話会が終わって、書き起こしが無くなった時、生活が随分楽に成ったとおもった。毎月二週間かけて二時間分を作るのは、肩が凝ってきつかった。だけど、暫くすると、物足りなくなった。生活が締まらなくなった感じ。今はまたZOOMの分をすると、内容も良く分るし、充実感があるからやっている。
 
 これなども、目的が有るわけではなくて、時間もあるし、老師のお話を文字にして置ければ良いかなと思うし。思うに、法話を聞いたり、書き起こししたり、やってる時に自分に作用している物があるみたいだから、それが良いのではないか。だから覚えるとか、理解するとかでなく、只触れて、忘れたら良いかも知れない。

 坐禅会も摂心も、その様に老師と参加者と一緒に坐って過ごして、終われば良いのではないか。だけど、これは、出来たら定期的にした方が良いかなとおもう。私など思考癖の強烈さは、中々の物があるから、師がもう去れ、と言うまで続けた方が良いかも知れないと思って居る。
まあでもこの忘れっぷりは気持ちがよかったな。

 貫道老師にご指導頂く機会がありました。色々気が付いた事があります。
 坐禅会を運営していると、どうしてもうまく行くようにとか、人数とかに気を取られてしまいますが、それは二次的な事ですね。
 老師方が、参加者の人数を気にされないのは、大事なのは人数ではないからだとわかりました。
先日グループ入室の時、老師を含めて三人で、一時間半もどうしようかと思っていましたが、結果は最高の時間になりました。老師にお伺いしてお答えを頂くという形でなく、自分の意見を出した感じで、それぞれが法としての在り様か、と言う感覚をもちました。
 以前、高知坐禅会の時、参加者の間で口論になって険悪なムードに成った事があります。流れで何とか収まった感じでしたが、その会を老師は「素晴らしい禅会でした」と言って下さいました。私達には苦い経験に思えましたが、老師の受け止め方は違いました。善し悪しの無い、その時の在り様ですね。
 老師と、私も含めて参加者とで生まれる一場のもの、良しも悪しきも、上手くいくとか行かないとかないところで生まれるものですね。参加した各自がそれを感じるのだと思います。
 早くも11月、コロナで明け暮れた今年のZOOM禅会もあと四回。
 玄哲和尚さんの「来たる者拒まず、去る者追わず」の境地で勤めたいと思います。

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