禅語って大変ですね。禅の言葉ぐらいの軽い意味で思っていたら、違いました。

祖師方が修行での師とやり取りして悟りを得た機縁の言葉が語録として残されていて、その中から碧巌録や無門関が作られ、また日常語に多くなっている様です。

 ネットで紹介されているのは、殆ど常識の範囲で説明されたものです。お寺で出しているのも、僧の方の書かれているものもその域をでないですね。また専門学者方の禅僧の本を読んでも、私達が学んでいる老師方の様なお話しには出会えないです。

よく考えると、今迄の貫道老師のお話の中にも、今ネットで禅語として紹介されているものが出て来ました。道元禅師は、祖録の中から多く題材を選ばれていますので。そう意識していなかったです。

 老師のお話から、禅語として、どう言う処、機序で語られたのかを老師のお話と共にとりだせば、あるいはもっと真意が伝わりやすいかとおもいました。暇に任せて探そうと思って居ます。

 とりあえず、

「回向返照の退歩を学すべし

「小欲」

「平常心是道」

をあげました。洞山大師の「過水の偈」は出来そうです。ダイジェストになってもいけないですが。
やはり、提唱をお聞きするのが、一番みたいですね。坐禅は言うまでもなく。

宗貫合掌