身心学道 第一回
第一回をお聞きして、これは貫道老師の法話にピッタリと、思い浮びました。
何時も老師がお話になる事が書かれている。
特に最初の一行。これで終わっても良いのですがと老師が言われましたが、本当に全てが言い表されているとおもいました。
「仏道は、不道を擬するに不得なり、不学を擬するに転遠なり。」
この部分だけでも文字化したいですね。
滅多にないご提唱ですので、お見逃し無く。
坐禅は自己を明らめる妙法と言われています。道元禅師のお教えにもとづいて、坐禅を楽しむ会です。 随時、掛川市少林寺東堂井上貫道老師をお招きしてご指導頂きます。老師は正伝の仏法を弘通される数少ない指導者のお一人です。全国で『正法眼蔵』ご提唱、坐禅指導をなさっておられます。 是非、ご参加下さい。
禅語って大変ですね。禅の言葉ぐらいの軽い意味で思っていたら、違いました。
祖師方が修行での師とやり取りして悟りを得た機縁の言葉が語録として残されていて、その中から碧巌録や無門関が作られ、また日常語に多くなっている様です。
ネットで紹介されているのは、殆ど常識の範囲で説明されたものです。お寺で出しているのも、僧の方の書かれているものもその域をでないですね。また専門学者方の禅僧の本を読んでも、私達が学んでいる老師方の様なお話しには出会えないです。
よく考えると、今迄の貫道老師のお話の中にも、今ネットで禅語として紹介されているものが出て来ました。道元禅師は、祖録の中から多く題材を選ばれていますので。そう意識していなかったです。
老師のお話から、禅語として、どう言う処、機序で語られたのかを老師のお話と共にとりだせば、あるいはもっと真意が伝わりやすいかとおもいました。暇に任せて探そうと思って居ます。
とりあえず、
「回向返照の退歩を学すべし
「小欲」
「平常心是道」
をあげました。洞山大師の「過水の偈」は出来そうです。ダイジェストになってもいけないですが。
やはり、提唱をお聞きするのが、一番みたいですね。坐禅は言うまでもなく。
宗貫合掌
おはようございます。
井上貫道老師高知坐禅会終了致しました。とても充実した良い会になりました。
少人数でしたが、京都、大阪、大分、そして沖縄からも御参加いただき、参禅にたいする真摯さが伝わる、そしてざっくばらんな良い会でした。
老師と参加者の距離感がなくて、親しく居ることができる二日間でした。今回から二日にしたのですが、効果的でした。参加される方の、自然な姿勢が会の雰囲気を作り出すのだなと感じていました。
皆様ありがとうございました。
ご提唱は、「四祖道信示牛頭法融」を選んで下さいました。これは井上義衍老師の提唱が、龍泉寺から出版された牛頭禅師の「心銘」の中にあって、そのご垂示のご提唱でした。本を参加者に一冊ずつ下さいました。
短い文章ですが、全てを言い尽くしているといわれる、貴重な垂示です。以前拝読して、とても感銘を受けたことがあります。貫道老師のご提唱でお聞き出来るとは思ってもいなくて、大変感激しました。
このブログでのみの限定公開と致します。
尚、御本は龍泉寺で購入する事が出来ます。
参禅はその人がやるか、やらないかですね。多分理で外からいくら勉強しても、埒は空かないのでしょうね。
老師に直にふれる機会は、何もしなくてもそのまま円成する世界です。コロナを始め世界のフェイクに惑わされずに、万難を排して動ける人が出会う事のできる世界かもしれません。
これから少し方向を変えて、本当にやろうと思う方に機会をご提供できればと思っています。
正法眼蔵 坐禅箴
井上貫道老師の正法眼蔵 坐禅箴提唱録をアマゾンより電子書籍として出版いたしました。
あとがきに書きましたが、これは2018年の高知坐禅会の分五回とオンラインの六回の書き起こし収録です。
コロナパンデミックの中で生まれた宝の様におもいます。
高知市で坐禅会を始めたのも、この書き起こしや録音のネット配信も、カウンセリングを指導している先輩の言葉「苦しんで居る人が沢山居る、私達にも勉強して分かち合って欲しい」からでした。
老師に「高知の人も救って欲しい」とお願いして、今日の展開になりました。
実際の坐禅会は、中々、カウンセリングの方々に続けて頂けるところには至りませんでしたが、また別の展開が続いています。この書き起こしを読んでいると、色んな事が思い出されます。
アマゾンで出版するのは、貫道老師に参禅している方以外の方に届けるためです。
道元禅師の正法眼蔵については多くの方の書かれたものがありますが、思考の範囲の物がおおく、真実の示しておられるのは少ないように思います。
坐禅箴の全編に渡って、道元禅師の著作を説かれているのは、ないのではとおもいますので、貴重だと思っています。
音声youtube録音へのリンクもあります。ご利用頂けたら、有難いです。